【コテカから】衣服・装身具の歴史【モードまで】

1世界@名無史さん2011-09-28 21:34:53

フードをかぶった旧石器時代のビーナス像から、現代の

ファッション百花繚乱に至るまで幅広く語りましょう。

個人的にはヨーロッパでストライプ柄がアウトローの象徴として

扱われていたルーツに興味があって。囚人服・道化・異教徒…一体どこから?

5世界@名無史さん2011-09-30 20:52:14

インドもムガール細密画とか見るとシマシマ着た高官が多い。

イスラムつながりだろうか。

9世界@名無史さん2011-10-01 22:42:27

>>5

これなんか確かに多いな。

シャー・ジャハーン帝と家臣たち

103世界@名無史さん2013-10-16 10:55:00

>>9

今更だけどアラブ系以外に白人東洋人黒人と人種揃ってるのがすごい

12世界@名無史さん2011-10-11 22:55:46

イートンとかの制服を導入しなかったのはなぜだろう?

16世界@名無史さん2011-12-12 12:44:05

>>12

海外王室と皇室の交流で王族男子のセーラー服が伝わって、

他に普段着る物がない上流の女子の洋装になって、それが広まって制服と化したんでは

男子は詰め襟でいいんだし

17世界@名無史さん2011-12-13 00:31:30

>>16

王族とか関係ねっての!

近代の日本は富国強兵の名の元、国民皆兵制度により

幼少時から国民を軍人に仕立てる必要性があった。

従って

女子学生は海兵をイメージしてセーラー

男子学生は陸兵をイメージして詰襟

となった。

よく覚えて桶

19世界@名無史さん2011-12-13 10:43:59

>>17

何の根拠もない説だな

水兵服を気に入ったヴィクトリア女王が、自分の子女や娘の嫁ぎ先に

セーラー服を誂えさせて与えたのが1841年で高級子供服のモデルになった

それと前後してパリで女性のファッションとしてセーラー服が流行しており

モードとして欧州・アメリカへ伝わっている

女子生徒の制服となったのも欧州が初

日本のセーラーは英国留学していたアメリカ人エリザベス・リーが

自身が学長をしていた福岡英和女学校の運動服として採用したのが初

全国に広まった理由が海軍だからとか何の証言も証拠もない説

49世界@名無史さん2012-10-02 21:27:41

宝石をドレスに縫い付けるて、具体的にどうするんだ。

宝石に穴を開けてボタンみたいにするのか?

52世界@名無史さん2012-10-05 21:31:58

>>49

表現しづらいが、宝石の周りを糸で何重にも囲んでふちどってた記憶が。

54世界@名無史さん2012-10-07 20:53:39

>52

ミラー刺繍みたいな感じかな

70世界@名無史さん2012-11-26 15:21:55

>>52>>54

七八年前ドレスデン展で見たがミラー刺繍状で宝石なので盛り上がった感じだった。

男性貴族用衣装だったが豪華だった。

宝石はルビー・サファイア・エメラルドの色石でカットは悪い(光らない)が大きかった。

ダイヤモンドは産業革命以降照明が格段に明くなってから、

夜会時ギラギラ光るので人気がでたそうだ。

16世紀は大きさ勝負

17世紀はギラギラ勝負と言うことか。

73世界@名無史さん2012-11-28 21:29:18

>>70

産業革命の頃に照明ってそんなに明るくなったの?

電気の灯が本格的に普及したのは20世紀に入ってからのことだし

それまでは蝋燭とか良くてガス灯程度で、たいして変わってないんじゃない?

79世界@名無史さん2013-01-06 03:03:12

Tシャツやキャミソールが街着になるのと同じ流れだよね。

下着・部屋着が外出着に昇格する。

シャネルがジャージー素材をファッション化したのが契機なのかな。

89世界@名無史さん2013-04-10 21:25:10

>>79

Yシャツももとは下着。ゆえにベストが必要で、ベスト無しでYシャツのみ

は普通はあり得なかったらしいね。

122世界@名無史さん2014-10-20 00:16:57

北海道アイヌの衣装が着物風なのは太古からああなんだろうか?

それとも途中から和人の影響か、あるいは>118みたいな遊牧民の服がアムール経由で広まったのか、それともその他?

女性の肌着のモウルはもともと前を縫い塞いでいたそうだけど。

146世界@名無史さん2015-01-04 17:35:02

ムスリムの伝統の服を着ていれば、敵の銃弾も貫通しないに違いない。

ムスリムの伝統に反する服は不可能。

153世界@名無史さん2015-04-17 11:31:46

風俗博物館・日本服飾史資料

源氏物語、当時の貴族の風俗や生活を知るため、その舞台となった六條院『春の御殿(はるのおとど)』を1/4スケールで展示しています。書物や絵巻物でしか味わえなかった源氏物語が立体になり、中には光源氏や紫上などの登場人物が配され、リアルに源氏物語の世界を体感できる風俗博物館

ここのサイトを追ってゆくと、推古・飛鳥時代〜奈良時代は明らかに

古代中国風衣装なのだが、平安時代はどこからが日本式なのだろう?

説明を読んでもよくわからん

154世界@名無史さん2015-04-17 21:16:03

>>153

推古までは、共衿じゃないという点で基本のコードが違う気がした

袖などはすっかり漢服風だが、胸紐を結ぶところはちょい遅くまで残ったんだなぁと思った

156世界@名無史さん2015-04-18 23:58:13

平安時代初期の頃の風俗がよくわかってないせいもあって

奈良時代の唐服から突然平安後期の和服にワープしてしまう印象になる。

実際にはある日突然どこからともなく和服が湧いてきたわけではなく

唐服が少しづつ和風化していったはずなんだが

157世界@名無史さん2015-05-03 18:31:45

>>156

自分もそこ気になる。

日本の服飾として大きな転換期のはずだけど、

あまり研究されてないのか、調べてもあまり資料でてこないんだよね。

小野小町とかは、まだ唐服なんだっけ。

一般のイメージとしては十二単だけど。

159山野野衾 ◆qDubHAi3S/a/ 2015-05-10 15:41:04

>>157

正倉院のおかげもあって、奈良朝の方がまだ分かるというか推測出来るレベルですから。

平安前期は神像からある程度推測されているものの、奈良朝より分かりにくい。

京都の時代祭に登場する小野小町(9世紀中頃)。元々女房装束(十二単)であったが、考証の結果変更された。

9世紀末頃の女神像+僧形像(後世にいう八幡三所)

h

男子の服装も10世紀、11世紀、12世紀でかなり異なりますね。

挿絵が有名な『紫式部日記絵巻』は鎌倉時代の作なので、1000年頃を描く史料とするには注意が必要。

160世界@名無史さん2015-05-12 21:50:15

>>159

時代祭の小野小町、初めて見ました。ありがとう。

資料が少ないのがなんとも残念。

源氏物語も、制作当時に読んだ平安時代の人たちは

唐服を着た桐壷とかを想像してたのかもしれない、

なんて思うとちょっと楽しい。

162山野野衾 ◆qDubHAi3S/a/ 2015-05-17 22:42:52

>>160

『源氏物語』「絵合」には、紀貫之が詞書に筆を執った『竹取物語』の記述があります。

そして、『源氏物語』の他の例から推して、この『竹取物語』も実在したと考えられます。

紀貫之は、905年に『古今和歌集』を選定し、945年に没しています。

もっと狭められなくもないですが、おおよそこの間に書かれたものでしょう。

当然、「絵合」の時代はこの時期以降になります。

そしてこれ以外にも複数の理由から、『源氏物語』の時代設定が醍醐〜村上朝(897〜967)

に相当するであろうことは、鎌倉時代以降の注釈書の意見が現代まで一致しています。

>>159で挙げた神像の時代が、ちょうど桐壺帝の治世開始時期ですね。

モデルであろう醍醐天皇の治世は930年まで続くのですが、まだ垂髪に女房装束の時期では

なかったかもしれませんね。

桐壺の女房への嫌がらせに廊下に汚物を撒いた箇所、「衣の裾」が汚れたとはあるものの、

髪が汚れたとは書かれておりませんし。

なお、光源氏が子供の頃に高麗人の人相見と会い、皇位に就かない方がよいと言われたとい

うくだりがあり、これが後々の登場人物の運命を変えて物語を作るのですが、宇多天皇から

醍醐天皇への遺誡に「外国人と直接顔を合せてはならない」というものがあり、高麗人に顔を

見られた時点で皇位に就けないフラグが立っていたと考えられています。

史実ネタを頭に置くと、面白い作品ですよ。

167世界@名無史さん2015-05-29 23:51:50

>>163

ミャンマーからバングラデシュにかけての腰巻文化圏が

男性非ズボン文化圏最後の牙城かもなW

168世界@名無史さん2015-05-30 01:24:59

なぜ男子はズボン一辺倒になってしまったのか?

なぜそんな騎馬民族の習慣が全世界に普及してしまったのか?

174世界@名無史さん2015-05-31 05:18:38

>>168支那は清の時代にズボン化。

欧州はもっと早く、ゴート族に蹂躙されたときにズボン化。

それまで両者ともに

ゆったりとした、あの我々が古代人として連想する服装をしていた。

185世界@名無史さん2015-08-26 22:00:09

スボンだけと金玉周辺は涼しいという

理想的な服装だな

5000年前にすでに正解は生まれていた!

これからは男はガーターでニーソをとめる時代!

188世界@名無史さん2015-08-29 00:30:05

>>185

なおかつ排泄にも便利。

なのに、股割れズボンはなぜ(少なくとも先進国では)廃れてしまったのだろうか・・・

191世界@名無史さん2015-09-20 00:38:50

>>188

掘ったり嵌めたりする時も便利なのにな、不思議だ

195世界@名無史さん2015-09-26 06:11:28

女の仕事なので、男は文章化・文献化しない。庄屋日記でも女の行動はほとんど不明。

身分が高い女性以外は文章を書かない。

消耗・実用品なので遺物として残りにくい。

国は機械化を推進しているので手編みなどは相手にしていない。

工芸保護という概念もない。

197世界@名無史さん2015-10-14 06:06:52

>>195

同意

196世界@名無史さん2015-09-27 14:00:09

衣服の禁忌で古今東西共通しているのは

上位者の服装を下位者が着るのはOK

下位者の服装を上位者が着るのは忌避

198世界@名無史さん2015-10-14 16:23:10

>>196

そうでもないだろ。貧乏貴族でも

それなりの恰好をしていないといけない。

無理なら宮廷に出てこれない。

230世界@名無史さん2016-04-06 22:20:07

>>198

それはまさしく、下位者の服装を上位者が着るのは忌避ということだろ。

207世界@名無史さん2015-12-26 16:41:56

近世ヨーロッパだと

仕立屋が服を元請で、お針子に下請けにする

日本の江戸時代だと

布を購入して御物師に仕立てさせる

日本はワンランクレベルが低い

209世界@名無史さん2015-12-28 14:14:02

>>207

中級以下の武士だと女房が奉公人を含めて家族の分の服を縫うね。

231世界@名無史さん2016-04-07 19:02:25

身分や階級が不明瞭になるので上位者が下位者の服装もできない。

232世界@名無史さん2016-04-07 19:36:58

>>231

高貴な身分の人が街で遊ぶために庶民の服装で

こっそりと出掛けるなんてのは昔からよくあることだぞ

235世界@名無史さん2016-04-08 06:52:46

>>232

>こっそりと出掛ける

つまり普通は出来ないと言っている

238世界@名無史さん2016-04-12 07:59:00

>>232

現代のように随所に道案内板があるわけじゃなし、

手軽な地図があるわけじゃなし、

あったとしてお忍びなので街角で開いて見るわけにもいかず、

迷子になってちゃんと帰れないおそれがある。

239世界@名無史さん2016-04-12 08:08:21

>>238

そりゃあもちろん迷子になったら困るから

お供の者は付いてただろ

やっぱり庶民の服装で

241世界@名無史さん2016-04-12 10:45:43

>>239

人的紐帯が全ての前近代で、お供まで汚いなりしてチョロチョロしてたら、御殿に帰ってこられなくなるよ。

政的はいっぱい、仮に気づいても、殿様の騙る狂人として手打にされてしまう。

250世界@名無史さん2016-06-27 21:22:58

女子中高生にセーラー服を着せているのは、軍国主義の表れだ!

などと言う人はいないのかな?

295世界@名無史さん2017-09-07 11:14:18

どうしてそうなった?「中国の喪服」が「日本の白無垢」とそっくりな理由=中国メディア

隣どうしの日本と中国でも、文化や習慣が異なる点はたくさんある。宗教観など様々な価値観が影響する冠婚葬祭の習わしにおける差異は、特に顕著と言えるかもしれない。中国メディア・今日頭条は5日「中国の喪服がどうして日本では結婚式の服になるのか。日本に伝わる時に間違えたのだろうか」とする記事を掲載した。(イメージ写真提供:123...

→このひと、何を勘違いしてるんだ?

白のウェディングウェアはイングランドのビクトリア女王が初めて着用し、

それから世界中に伝搬した習慣だよ

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